いよいよ本当にやりたいことをはじめるとき

今年は桃がヒットしている私です。

いつもはそんなに食べたいとは思わない果物なのに

今年はなぜか毎日の様に桃を食べたくなるのです。


そんなときはすぐに調べてみる。

桃にはどんな力があるのかしら・・・


調べてみると

桃はほとんどが水分で他の栄養価が高い果物に比べると

これといって特別な栄養は期待できないのですが・・・・


中国では厄除けや長寿の果物として信じられていて今でも

縁起物として食べられる果物だそうです。


この写真は滋賀県の琵琶湖湖西にある白鬚神社で神社の存在の意味の

説明を聞いているところです。

8月28日・29日と参加してきたルミナさん主催の

【桃樹塾】ホツマツタエの聖地で学ぶ宇宙の理 

に参加してきたときの様子のひとつです。


この説明をしてくださっている男性が

人力車で日本を一周をて伊勢の地にご縁を結び

古事記や伊勢の神話についてを語ってくれる

山田 祥平さんです。


この山田 祥平さんとお話していたら彼がこんなことを言いました。

「桃の木は厄除けやからね〜。

 桃は体の浄化をしてくれる果物としてこの世に存在しているんですよ・・・。」って


えっ?それ興味あり。

もっと聞かせて欲しいとその話を聞いていくと

日本の歴史書とも言われている

「古事記」の物語のお話をしてくださったのです。


ちょっと長くなりますがその話の内容を書いてみますね。


「古事記」には、イザナギ様は黄泉の国にイザナミ様を訪ねていく場面があります。

これはイザナミが火の神様を産んだときに大やけどをして死んでしまい黄泉の国(よみのくに)に

いってしまいもう一度どうしても会いたくておっかけていく場面のお話です。

黄泉の国のイザナミ 様は元の姿とは別の姿になってしまっていたので、

「私の体を見ないでください」とお願いをします。

それでもどうしても会いたかったイザナギ様はその姿をみてしまうのです。

その醜いイザナミ様の姿を見てびっくりしたイザナギ様はなんと逃げ帰るのです。

その姿をみて怒ったイザナミ様は黄泉の国の1500人の軍隊で追いかけていくのです。

イザナギ様は地上へ続く黄泉平坂(よもつひらさか)に向かって、必死ににげました。


イザナギ様はけんめいに走りながら、かみに結んでいたかざりを放り投げました。

するとかみかざりからはたちまち野ブドウの木が育って、たくさんの実がなりました。

イザナギ様がかみにさしていたくしを放り投げました。

すると、そこからはたけのこが次々に生えました。

 こうして逃げるイザナギの行く手に、ようやく地上の世界が見えてきました。

しかし黄泉醜女たちは群れをなして追いついてきます。

ようやく坂のふもとまでたどり着くと、そこに生えていた桃(もも)の木になっていた実を

三つもぎとって投げつけると

桃の実がもっている不思議な霊力(れいりょく)におそれをなした

軍隊たちはみんなにげ散ってしまったのです。


 イザナギ様は、その桃に対して、 

 「そなたは、私を助けたくれた様にこの国に住む全ての人々が、 

苦しい目にあって思い患っているとき、 私と同じように助けなさい。」

と告げ、 桃の実に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を授けたと

書いてあるのだそうです。


それ以来桃の木は厄除けのとして扱われてきたそうです。


中国の伝説でも桃は魔力があると大切にされています。


私はただの栄養だけには興味がなく

昔から伝えられてきているものの姿やそのエネルギーに

とても興味があります。


そっか・・・・

今年はカラダもココロも新しくしたいとき

だから桃を例年になく食べたがっていたのかも

と納得をしたのです。


さらに今年は熱を外に出すのがどうやら苦手な体質になっているらしく

桃やすいか、ゴーヤやキュウリにナスと

カラダを冷やすお野菜を美味しく感じて食べています。


そろそろ秋仕様に変化させないとね・・・とおもいつつ

今日も桃を食べた私でした。


あわの歌を教えてくださたのは

滋賀県高島市でモモカフェを運営されている

熊谷モモさん。

一回笑うとず〜っと笑ってる・・・

そんな印象の明るさいっぱいの女性です。



滋賀への旅は桃の力だけでなく様々なことが

今から約16500年前と言われている縄文時代にはすでに存在していて、

そのことが書き記されている書物が存在している

というお話を聞かせていただき

そのことになんとも魂がワクワクし

私たちが今感じていることや、発見したと思っていることは

実はもう縄文時代からわかっていたことで

そのことを今理解しやすく表現しているだけなのかもしれないと

そんなことを感じてきたのです。


中国から伝わったとされている様々なお祭りごと

桃の節句や七夕の節句などについても

このホツマツタエに記されているそうです。


この写真は白鬚神社の奥に存在している岩。

祥平さんはこの岩の存在を

聖地を表すものとして解釈されていました。


ピラミッドは三角であることで

エネルギーが高くなるとされていますが

日本には三角の形をした山や岩があらゆるところに存在し

それは自然界が作った聖地を示すもの・・・・


その岩の下には


イザナギ様とイザナミ様がまつられている祠があり

その下には幾つかの神様があり

天照大御神様 豊受けの大御神様

そして一番下には

道案内の神様と言われている猿田彦様がまつられている

祠がありました。


そしてその先には琵琶湖の中に

鳥居がたっています。

ただその鳥居は神様に向かってたっているのではなく

琵琶湖に向かってたっているのです。


祥平さんはその解釈を

私たちひとり、ひとりが宇宙の理りを理解したら

今度はそれを行動に行う宣言をして

新しいステージに向かっていく場所と説明してくださいました。


ここ高島市はホツマツタエの聖地とも呼ばれ

その頃の時代を感じさせてくれるものが残っている場所です。

街並みも、田園風景も、



私の言葉を使うと神様に守られている感じがする

そんな場所です。

その高島市にはこのホツマツタエの聖地だけでなく

近江聖人 中江藤樹先生の塾が存在した場所でもあり

藤樹先生の教えも少しだけ学びました。

その中で特に心に響いたのが


致 良 知(ちりょうち) 

人は、だれでも「良知」という美しい心を持って生まれています。

この美しい心は、だれとでも仲よく親しみ合い、尊敬し合い認め合う心です。  

その良知に従い行いを正しくするよう日々努力すること


知行合一(ちこうごういつ)  

人々は、学ぶことによって、人として行う道を知ることができます。  

学んだだけで、それを行わなければ、ほんとうに知ったことにはならない。

物事を理解し、実行してこそはじめて知ったことになります。


知ることは大切なこと

でもそれを行動にうつすために学ぶということを

ついつい忘れがち。


私の恩師の久司道夫先生もいつも

「知ったものの責任」という言葉で

学んだことは実践し、人に知らせていくことの

大切さをいつも教えてくださっていました。


知ったことは行動に移す

実践することでしか進化はしないですものね。


藤樹先生の教えから

ホツマツタエの存在とその内容に触れ



ヲシテ文字のエネルギーを感じ

自分の名前に宿るその力を紐解き


最後には神様の存在が神様ではなく

ご先祖様として感じるものを体験し

その中に

日本人として生まれてきたことの喜びや

一人一人は神なんなだということを

白鬚神社を参拝して体感する・・・・。


そんな琵琶湖の旅を体感してきました。

そして戻ってきたらさっそく新しいステージへいくための

学びが満載。笑

宇宙のリズムってすごいですよね。


やりたいこと

やりたくないこと

できること

できないこと

志にそうもの

志にそらないもの


それを体感し認める作業がはじまっています。


そんな時みたくない自分を見つけるわけです。

イザナミ様の話でいうとみないで〜という自分

それでもみたら逃げるのではなく

それを受け止めること

もしくは逃げた自分を許すこと。


そうそう祥平君がそのときこんなことを話してくれました。

そもそも、イザナギ様はイザナミ様に会いたくて黄泉の国まで

行った・・・それは愛の表現

イザナミ様はイザナギ様に醜い姿をみられたことが悲しくて

それが愛するがゆえに許せなくなって追っかけていって

戦うことになるけど、戦いが終焉したのは

そもそも二人はお互いが必要でお互いを愛していると

いうことを思い出したから・・・・。

と。


そもそも私たちは愛そのもので

自分のことも愛しているのです。

そのことを忘れないでね〜。

愛しているから許せない自分を見つけてネガティブになったり

本当の自分を知るために苦手をみつけているのに

その苦手が許せなかったりしたりしているから

そもそもに戻りませんか?


わたしは愛そのものである

ということに戻る。

わたしはそもそもわたしをあいしているのです。

そこから

見えてくる世界が広がるように思うのです。


ひとりで追いかける役と

逃げる役をするので少しハードですが・・・・笑


それでも9月の1日の新月から開く扉に向けて

それぞれのステージで体感していることがきっとあるはず。

9月の9日の重陽の節句までに

時間を作れるならしっかりと

ここから始まる新しい世界のために

自分の中を見つける時間を過ごすことも大切なことだと

感じています。


わたしもここからもっと皆様のお役にたてる人になりたい

自分の得意なこと=志に沿って。

そして皆様にも

自分の得意なこと=志をみつけて

豊かな人生を送ってほしいとそう願っています。


学びは様々な角度からベストなタイミングで最善なものと

出会えるはずです。


わたしからは食べるこことお料理すること

自然界の摂理を学ぶことで皆様のお役に立てればと思っています。


自然界の摂理は縄文時代から・・・・

地球が誕生したときから変わらずに存在し続けているのです。


知らないことの中に真実や答えがあるときもありますよ。


それにしても

今回の琵琶湖の旅は体感することがたくさんでした。

この合宿を開催してくださったルミナさんに

心から感謝です。



そして一緒に合宿を体感できた皆様にも感謝です。


今日はとっても長いブログになりました。

桃からはじまり古事記の世界へそして

神様の存在をしり

生き方を学ぶ・・・。笑

最後まで読んでくださってありがとうございます。


感謝♡一粒万倍

お料理びと naka mIe


フードレメディのある暮らし

自然の摂理を取り入れて古き良きものを 大切にし未来に結ぶ。 100年後の地球のために。 10年後のカラダのために。 食べることと、お料理することを考える 食べることと命を育むことを 食べることと豊かに生きることはつながっている 恵みとリズム。 ぐるっと巡らせて 自分を大切にする暮らし。 そんな暮らしについて語ります。

0コメント

  • 1000 / 1000